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学校給食の目的は「学校給食法」第2条により |
1. |
日常生活に於ける食事に正しい理解と望ましい習慣を養い |
2. |
学校生活を豊かにし、明るい社交性を養い |
3. |
食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図り |
4. |
食糧の生産、配分及び消費について正しい理解に導くことにあると明記されている。 |
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学童に対する給食活動の現状は、その国の教育文化助成の一つのバロメーターになるかも知れない。1889年・明治22年山形県の私立忠愛学校で貧しい生徒のために昼食を無料で配ったのが、学校給食の原型であるといわれる。今から百年以上前に実施されていたからその歴史は長く以来各地、各民情に従って給食活動が行われていたが、昭和7年9月「学校給食臨時施設法」が施行され、愛知県では名古屋市の御器所小学校と旗屋小学校で実施され、父兄負担の給食費は1食4銭であったと記録されている。その後時代の流れは徐々に軍時体制となり学校給食の目的も多面化し、昭和19年4月戦局の切迫化と食糧統制の厳戒制度化に伴い「決戦非常要項」が施行されて国民学校に調理所が設置され、全児童に主、副食の給食が開始されたのである。昭和20年8月15日終戦を迎えた時には全土焦土化の中で小学校及び調理所の焼失が著しく、戦後の給食開始に大きな困難が伴った。食糧不足の昭和21年4月学校給食は、みそ汁だけの給食から始まった。こうした給食の歴史の中で今日の如き完全給食の母体になったのは、昭和22年2月に始まった連合軍の物資放出、LARA物資の援助によって急速に復活し、同年12月にアメリカ政府援助の脱脂粉乳が給与されてミルク給食が開始された。
こうしたさまざまな曲折を経て、昭和29年6月学校給食法、同施行令、施行規則が公布され、現在のようなパンとミルクと惣菜の三位一体となった給食体系が確立された。
昭和30年12月財団法人名古屋市学校給食協会が設立され副食の研究が進み、昭和39年4月には中学校においてもミルク給食が開始され、昭和43年4月小学校指導要項が改正されて学校給食が「特別活動」の学級指導に位置づけられ、昭和48年9月には給食費補助が本格化するに従って学校給食が定着したのである。一方、農林行政の米穀政策は保存米の消費対策上から米食の学校給食へ導入が推進され、昭和51年2月に学校給食法の施行令を一部改正して「米飯給食の導入」に積極的な指導が行われ現在は週二日ないし三日の米飯給食が行われている。
以上、わが国に於ける学校給食の推移のあらましを述べたのであるが、この様な給食は児童の体位に著しく貢献し、食事を通しての教育、社会性或いは一般の食生活向上にも大きな役割を果したのである。が、時に戦後に於ける学校給食に寄与したパン業界の功績もまた大きく評価されてしかるべきであると自負するところである。
また今後も、学校給食の現状を再認識し給食提供業務に携るパン、米飯業者としての自覚と将来への発展を真剣に考えねばならないものと思うのである。 |
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